翻訳と辞書
Words near each other
・ 左心房径
・ 左心房後壁
・ 左心房斜静脈
・ 左心症
・ 左心症、心左方転位(症)
・ 左心耳
・ 左心補助循環装置
・ 左心負荷
・ 左心負荷、左心ストレイン
・ 左心電図
左思
・ 左慈
・ 左房
・ 左房室口
・ 左房室弁
・ 左房粘液腫
・ 左房縫縮術
・ 左手
・ 左手 (漫画)
・ 左手で誘惑TONIGHT


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

左思 : ウィキペディア日本語版
左思[さ し]

左 思(さ し、生没年不明、一説に252年 - 307年頃〔葉日光『左思生平及其詩之折論』(台湾文史哲出版社、1979年)より〕)は、中国西晋の文学者。太沖。斉国臨淄(現山東省)の人。門閥の後ろ盾のない寒門の出身であり、官途は不遇だったが、文才に優れ、代表作「三都」は「洛陽の紙価を高からしむ」故事の由来となった。妹の左棻も詩文の才能があり、司馬炎の妃となった。
== 略歴 ==
史書によると、左思は寒門の出身の上、容貌は醜くどもりであったが、学問に励み文章に巧みであったという。
妹の左棻が西晋の武帝司馬炎の後宮に入ったので、首都の洛陽に家を移した。三国の首都を題材にした「三都賦」の執筆を思い立ち、10年の歳月をかけてこれを完成させた。完成当初は世人の批判を浴びたが、当時の文壇の大御所である張華にこれを見せると、張華は班固の「両都賦」や張衡の「二京賦」に匹敵する傑作だと激賞し、無名の左思に名士の手を借りることを勧めた。左思が名士の皇甫謐に序文を書いてもらうと、「三都賦」の名声は大いに高まり、以前批判した者たちも手のひらを返して褒め称えたという〔『世説新語』文学篇より〕。人々が争って「三都賦」を筆写したため、洛陽城内の紙の値段が高騰したという逸話は、後に「洛陽の紙価を高からしむ」の故事となった。左思と同時代の文学者である陸機も、同じく「三都賦」の制作を構想していた。陸機は洛陽に上京すると左思の噂を聞いたが、弟の陸雲に手紙で「田舎者の『三都賦』が出来上がったら、酒瓶の覆いにするのがよかろう」といって、まるで相手にしていなかった。しかし完成した左思の賦を見るや、その出来映えに脱帽し、自身の制作を断念したという。
後に権臣の賈謐の招きに応じ『漢書』を講じた。300年八王の乱で賈謐が趙王司馬倫に誅殺されると、官職を辞して隠棲し、典籍に没頭した。
303年、河間王司馬顒の将軍張方が洛陽で暴虐の限りを尽くすと、左思は家をあげて冀州に避難し、数年後に病没した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「左思」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.