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左沢城 : ウィキペディア日本語版
左沢楯山城[あてらざわたてやまじょう]

左沢楯山城(あてらざわたてやまじょう)は、出羽国村山郡寒河江荘左沢山形県西村山郡大江町)にあった日本の城である。跡地は国史跡である。



== 歴史 ==
左沢(あてらざわ)は最上川の流れに臨み、五百川(いもかわ)渓谷を経て置賜地方村山地方を結ぶ軍事上の要地であった。南方には鎌倉時代に築かれた富沢楯(大江匡朝築城)および対岸の伏熊楯(中山忠義築城:長崎中山氏の祖)があり、東には寒河江の平野が眺望できる楯山の上に左沢楯山城が築かれ左沢氏が入った。左沢氏初代元時は大江時茂の次男であり、時茂が南北朝の争乱に備えて白岩柴橋寒河江溝延などに一族の子弟を配して守りを固めた際に、左沢に配置された。元時は応安元年/正平23年(1368年最上氏との漆川の戦いで敗れ一族60数名と共に自害してしまうが、子孫は代々左沢楯山城を守る。
左沢氏から吉川宗家に養子として入った吉川政周永正11年(1514年)に伊達氏との抗争で戦死して以後、左沢氏の系譜をたどることはできないが、天正2年(1574年天正最上の乱で伊達側について立働く様子が見られる。天正12年(1584年)寒河江氏が最上氏により滅ぼされると最上氏の支配下にはいり、慶長出羽合戦では直江兼続配下の分隊による攻撃を受けたようである(『伊達家治家記録』『最上合戦記』)。元和8年(1622年)最上氏が改易になると左沢藩主・酒井直次に引き継がれるが、寛永年間(1624年1645年)小漆川(大江町左沢小漆川)に新城を築くまでその機能を果たした。
左沢楯山城跡は2009年に国の史跡に指定されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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