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左藤 義詮(さとう ぎせん、1899年6月3日 - 1985年1月9日)は、日本の政治家。衆議院議員、参議院議員、防衛庁長官(第9代)、大阪府知事。学校法人大谷学園理事長(第2代)。郵政大臣、法務大臣、国土庁長官を歴任した左藤恵は息子。 == 来歴・人物 == 三重県出身。1924年京都帝国大学文学部卒業。欧米留学の後、真言宗京都大学、臨済宗大学、神戸高等商船学校の教授を経て1946年4月、第22回衆議院議員総選挙で大阪府第二区に日本自由党から出馬し当選し、衆議院議員を一期務める。1958年、第2次岸内閣で防衛庁長官として初入閣。9月2日から9月16日にかけて衆議院決算委員会において航空機購入問題で現役閣僚として証人喚問を受ける。 その他、参議院議院運営委員長(第7代)、参議院予算委員会委員、参議院法務委員会委員などの要職を歴任した。 1959年に赤間文三の後を受け、大阪府知事選挙に出馬し初当選。3期目の在任中には大阪万博が開催された。1971年の大阪府知事選で4期目を目指したが、革新陣営が担ぎ上げた黒田了一にまさかの敗戦を喫し、府知事を退いた。 1985年1月9日死去。享年86。 義父(妻 行子の父、左藤了秀)から引継ぎ、学校法人大谷学園学園第2代理事長も務めた。仏教者としては大阪府仏教会会長、大阪市仏教会会長も歴任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「左藤義詮」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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