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巧如(ぎょうにょ)は、南北朝時代から室町時代の浄土真宗の僧。諱は玄康。本願寺第6世。 == 生涯 == 年齢は、数え年。日付は、文献との整合を保つ為、生歿年月日を除き旧暦(宣明暦)表示とし、南北朝時代の元号は、北朝(京都)で表記する。 * 永和2年、本願寺第五世綽如の第二子として誕生し、日野資康の猶子となる。 * 康応2年/明徳元年(1390年)、綽如は「本願寺」を継承し第5世になるも、まもなく寺務を法嗣である巧如に委任し、越中国杉谷に草庵を結び退隠する。 * 明徳4年(1393年)4月24日、綽如が示寂。 * 応永元年(1394年)、本願寺住持職を継承し、とくに北陸への教化に尽力。弟の屯円を越前国の藤島超勝寺に、4男の如乗を越中国瑞泉寺に派遣した。 * 応永22年(1415年)、嫡孫・蓮如生まれる。 * 永享8年(1436年)、長男・存如に職を委譲する。 * 永享12年10月14日(1440年11月17日〔 )、65歳で示寂。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「巧如」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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