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巨勢奈弖麻呂[こせ の なでまろ]
巨勢 奈弖麻呂(こせ の なでまろ、天智天皇9年(670年) - 天平勝宝5年3月30日(753年5月11日))は、飛鳥時代・奈良時代の貴族。最高位は従二位・大納言。御史大夫巨勢比等(人)の子。 672年(白鳳元年)の壬申の乱で父比等が、大友皇子側につき敗れたため、乱後当時3歳の奈弖麻呂がどのような境遇にあったかは不明であるが、一族と共に配流されていたと推測される。 729年(天平元年)に従五位下に叙せられた時はすでに59歳であったが、739年(天平11年)に参議に任ぜられ、69歳にして公卿に列す。恭仁京造宮卿・留守官を経て、743年(天平15年)には中納言に昇進、746年(天平18年)には元正上皇の御在所で歌を詠む。749年(天平21年/天平感宝元年/天平勝宝元年)にはすでに80歳近かったが、極官の大納言に昇進する。752年(天平勝宝4年)の大仏開眼時には東宮留守官を務め、753年(天平勝宝5年)に薨去。享年84。この時代の人物としてはかなりの長寿を保った。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「巨勢奈弖麻呂」の詳細全文を読む
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