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巨勢至信
巨勢 至信(こせ ゆきのぶ、元禄9年(1696年) - 宝暦4年5月12日(1754年7月2日))は、江戸時代の旗本。巨勢忠善(ただよし)の嫡男、母は西川四郎右衛門の娘〔「寛政重脩諸家譜. 第8輯」 による。本文は161-162頁、コマ番号は92-93頁。〕。通称は堪太郎、六左衛門、官位は従五位下、伊豆守、縫殿頭〔。妻は福島正親の娘、2女の婿養子に巨勢至忠(ゆきただ、父は土岐朝澄、母は江原全玄の娘)がいる〔。 ==家系== 先祖は古代豪族の巨勢氏とされる〔。巨勢利次が姓を橘氏に改めて中井氏を称したが、巨勢利清の代に至ってまた巨勢氏を称したという〔。至信の縁戚の中で、特に著名な人物に浄円院がおり、彼女は徳川吉宗の母であり、至信の伯母に当たる〔。また、旗本巨勢氏は、至信の父である忠善の代から紀州徳川家に仕え始めた〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「巨勢至信」の詳細全文を読む
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