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巨勢邑治 : ウィキペディア日本語版
巨勢邑治[こせ の おおじ]
巨勢 邑治(こせ の おおじ、生年不詳 - 神亀元年6月6日724年6月30日))は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族。名は祖父とも記される。左大臣巨勢徳多の孫で、中納言巨勢黒麻呂の子。氏姓巨勢朝臣官位正三位中納言
== 経歴 ==
持統天皇7年(693年)4月17日に、監物の任にありながら盗みを見過ごしたため、位を2階下げ、官を解かれた〔『日本書紀』持統天皇7年4月丙子条。岩波文庫版『日本書紀』第5分冊292頁。〕。内蔵寮大伴男人ら他の関係者も裁かれており、その役職から、内蔵寮の倉庫から官物を盗み出した横領事件と推測される〔森田悌『天武・持統天皇と律令国家』88-90頁。〕。監物は官有物の出納を管理する役職である。
文武朝において、大宝元年(701年)には遣唐使の大位(三等官)に任ぜられ、翌年に渡る(このときの官位は務大肆三河)。慶雲4年(707年3月2日遣唐副使に昇進し帰国(位階は従五位下)、同年5月15日綿麻布を賜与され、8月16日正五位上に昇進する。
元明朝和銅元年(708年3月13日播磨に任ぜられる。その後霊亀元年(715年5月10日従四位上に叙せられ、同年5月22日右大弁に任ぜられる。
元正朝養老3年(719年1月13日正四位下に昇叙、同年9月8日摂津国摂官となる。養老5年(721年3月25日中納言従三位に叙任、神亀元年(726年2月4日正三位、同年6月6日に没した〔『続日本紀』神亀元年6月6日条〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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