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巨勢邑治[こせ の おおじ] 巨勢 邑治(こせ の おおじ、生年不詳 - 神亀元年6月6日(724年6月30日))は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族。名は祖父とも記される。左大臣・巨勢徳多の孫で、中納言・巨勢黒麻呂の子。氏姓は巨勢朝臣。官位は正三位・中納言。 == 経歴 == 持統天皇7年(693年)4月17日に、監物の任にありながら盗みを見過ごしたため、位を2階下げ、官を解かれた〔『日本書紀』持統天皇7年4月丙子条。岩波文庫版『日本書紀』第5分冊292頁。〕。内蔵寮允大伴男人ら他の関係者も裁かれており、その役職から、内蔵寮の倉庫から官物を盗み出した横領事件と推測される〔森田悌『天武・持統天皇と律令国家』88-90頁。〕。監物は官有物の出納を管理する役職である。 文武朝において、大宝元年(701年)には遣唐使の大位(三等官)に任ぜられ、翌年唐に渡る(このときの官位は務大肆・三河守)。慶雲4年(707年)3月2日遣唐副使に昇進し帰国(位階は従五位下)、同年5月15日綿・麻布・鍬・籾を賜与され、8月16日に正五位上に昇進する。 元明朝の和銅元年(708年)3月13日に播磨守に任ぜられる。その後霊亀元年(715年)5月10日に従四位上に叙せられ、同年5月22日に右大弁に任ぜられる。 元正朝の養老3年(719年)1月13日に正四位下に昇叙、同年9月8日に摂津国摂官となる。養老5年(721年)3月25日中納言・従三位に叙任、神亀元年(726年)2月4日正三位、同年6月6日に没した〔『続日本紀』神亀元年6月6日条〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「巨勢邑治」の詳細全文を読む
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