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巨勢野足 : ウィキペディア日本語版
巨勢野足[こせ の のたり]
巨勢 野足(こせ の のたり、天平勝宝元年(749年)〔『日本後紀』弘仁7年12月14日条の享年68に基づく逆算。〕 - 弘仁7年12月14日817年1月5日))は、平安時代初期の貴族朝臣巨勢氏の嫡流。参議巨勢堺麻呂の孫で、左中弁巨勢苗麻呂の長男。官位正三位中納言勲等は勲三等。
== 経歴 ==
延暦8年(789年従五位下陸奥鎮守副将軍に叙任されて以降、延暦10年(791年)には坂上田村麻呂らとともに征夷副使に任ぜられ、のち陸奥介下野守を兼ねるなど、桓武朝中盤は蝦夷征討を担当する。また、延暦14年(795年)には越階の昇叙により正五位下となっている。
延暦19年(800年兵部大輔に任ぜられて以降、桓武朝末から平城朝にかけて、中衛少将左衛士督左兵衛督左近衛中将と京官の武官を歴任し、大同2年(807年)の伊予親王の変では左近衛中将・安倍兄雄とともに左兵衛督として150名の兵を率いて伊予親王邸を包囲している〔『日本後紀』大同2年10月30日条〕。またこの間の延暦21年(802年従四位下、大同3年(808年)従四位上と昇進している。
大同4年(809年嵯峨天皇即位に伴って正四位下に昇叙され、翌大同5年(810年)3月に蔵人頭が設置されると、左衛士督・藤原冬嗣とともに初代蔵人頭に任ぜられている。同年9月に発生した薬子の変に際しては、固関使として鈴鹿関に派遣され、まもなく参議中務大輔を兼ね公卿に列した。また乱での功労により勲三等叙勲も受けた。こののちも嵯峨天皇に重んぜられて順調に昇進し、弘仁2年(811年従三位右近衛大将、弘仁3年(812年)には中納言に任ぜられ、太政官にて右大臣藤原園人、中納言・藤原葛野麻呂に次ぐ席次を占めた。
弘仁7年(816年)12月1日に正三位に叙せられるが、同月14日薨去享年68。最終官位は中納言正三位。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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