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巴御前 : ウィキペディア日本語版
巴御前[ともえごぜん]

巴御前〔「御前」という語は貴人や貴人の妻に対し用いられるが、静御前虎御前のように、白拍子や遊女に対しても用いられる。巴の場合も後者と同様の用例であろう。〕(ともえごぜん/ともゑごぜん、生没年不詳)は、平安時代末期の信濃国の女性。鞆絵とも。『平家物語』によれば源義仲に仕える女武者。『源平闘諍録』によれば樋口兼光の娘。『源平盛衰記』によれば中原兼遠の娘、樋口兼光・今井兼平の姉妹で、源義仲の妾。よく妻と誤記されるが、源義仲の妻は巴御前ではない〔『平家物語』では義仲は京で松殿基房の娘(藤原伊子とされる)を妻としており、『源平盛衰記』では京で基房の娘を妻とした他に、義仲が巴に向かって信濃の妻に再び会えないのが心残りだとも言っている。〕。
== 経歴 ==
軍記物語『平家物語』の『覚一本』で「木曾最期」の章段だけに登場し、木曾四天王とともに義仲の平氏討伐に従軍し、源平合戦(治承・寿永の乱)で戦う大力と強弓の女武者として描かれている。「木曾殿は信濃より、巴・山吹とて、二人の便女を具せられたり。山吹はいたはり〔病気。〕あって、都にとどまりぬ。中にも巴は色白く髪長く、容顔まことに優れたり。強弓精兵、一人当千の兵者(つわもの)なり」と記され、宇治川の戦いで敗れ落ち延びる義仲に従い、最後の7騎、5騎になっても討たれなかったという。義仲は「お前は女であるからどこへでも逃れて行け。自分は討ち死にする覚悟だから、最後に女を連れていたなどと言われるのはよろしくない」と巴を落ち延びさせようとする。巴はなおも落ちようとしなかったが、再三言われたので「最後のいくさしてみせ奉らん(最後の奉公でございます)」と言い、大力と評判の敵将・御田(恩田)八郎師重が現れると、馬を押し並べて引き落とし、首を切った。その後巴は鎧・甲を脱ぎ捨てて東国の方へ落ち延びた所で物語から姿を消す。
八坂流の『百二十句本』では、巴を追ってきた敵将を返り討ちにした後、義仲に落ちるように言われ、後世を弔うことが最後の奉公であると諭されて東へ向かい行方知れずとなったとされ、『長門本』では、落ち延びた後、越後国友杉に住んで尼となったとされる。
最も古態を示すと言われる『延慶本』では、幼少より義仲と共に育ち、力技・組打ちの武芸の稽古相手として義仲に大力を見いだされ、長じて戦にも召し使われたとされる。京を落ちる義仲勢が7騎になった時に、巴は左右から襲いかかってきた武者を左右の脇に挟みこんで絞め、2人の武者は頭がもげて死んだという。粟津に着いたときには義仲勢は5騎になっていたが、既にその中に巴の姿はなく、討ち死にしたのか落ちのびたのか、その消息はわからなくなったとされている。
『源平盛衰記』では、倶利伽羅峠の戦いにも大将の一人として登場しており、横田河原の戦いでも七騎を討ち取って高名を上げたとされている(『長門本』にも同様の記述がある)。宇治川の戦いでは畠山重忠との戦いも描かれ、重忠に巴が何者か問われた半沢六郎は「木曾殿の御乳母に、中三権頭が娘巴といふ女なり。強弓の手練れ、荒馬乗りの上手。乳母子ながら妾(おもひもの)にして、内には童を仕ふ様にもてなし、軍には一方の大将軍して、更に不覚の名を取らず。今井樋口と兄弟にて、怖ろしき者にて候」と答えている。敵将との組合いや義仲との別れがより詳しく描写され、義仲に「我去年の春信濃国を出しとき妻子を捨て置き、また再び見ずして、永き別れの道に入ん事こそ悲しけれ。されば無らん跡までも、このことを知らせて後の世を弔はばやと思へば、最後の伴よりもしかるべきと存ずるなり。疾く疾く忍び落ちて信濃へ下り、この有様を人々に語れ」と、自らの最後の有様を人々に語り伝えることでその後世を弔うよう言われ戦場を去っている。落ち延びた後に源頼朝から鎌倉へ召され、和田義盛の妻となって朝比奈義秀を生んだ〔歴史書『吾妻鏡』に照らし合わせると、義仲滅亡時に義秀はすでに9歳になっており、巴が義秀の母というのは計算が合わない。また義盛が巴を妻としたとするのも盛衰記のみで『吾妻鏡』や『平家物語』にも見られない。明らかに後世の創作である。〕。和田合戦の後に、越中国礪波郡福光石黒氏の元に身を寄せ、出家して主・親・子の菩提を弔う日々を送り、91歳で生涯を終えたという後日談が語られる。
なお、『覚一本』では年齢は記されていないが、『百二十句本』では22,3歳、『延慶本』では30歳ばかり、『長門本』では32歳、『源平盛衰記』では28歳としている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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