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市川 喜一(いちかわ きいち、1923年6月26日 - 2006年3月31日〔日外アソシエーツ現代人物情報より〕)は、日本の映画プロデューサー・元俳優である。俳優としての芸名は黒田潤〔久保田圭二『名作映画の構造』(シナリオ作家協会)P.82〕。群馬県高崎市出身〔日外アソシエーツ現代人物情報より〕。妻は市川千恵子(旧姓・関千恵子、元女優)〔読売人物データベースより〕。 == 人物・来歴 == 海軍予備学生として魚雷艇部隊に在籍した〔日外アソシエーツ現代人物情報より〕。1946年に早稲田大学法学部卒業するとともに、黒田潤名義で、新人スターとして大映入りして、いくつかの作品に出演〔久保田圭二『名作映画の構造』(シナリオ作家協会)P.82〕。 デビュー作『いつの日か花咲かん』で共演した関千恵子と交際、後に結婚。 1952年に大映を退社してフリーとなる〔久保田圭二『名作映画の構造』(シナリオ作家協会)P.83〕。シナリオ作家志望だった市川は、故郷の群馬県高崎市の交響楽団をモデルにした作品を構想して、今井正監督に売り込んで採用される〔久保田圭二『名作映画の構造』(シナリオ作家協会)P.84〕。同構想は水木洋子脚本により1955年に『ここに泉あり』として映画化され、市川は「企画者」として共同製作者にクレジットされた〔久保田圭二『名作映画の構造』(シナリオ作家協会)P.85〕。 以降、フリーの映画プロデューサーとして劇映画製作に携わる〔日外アソシエーツ現代人物情報より〕。今井正、勅使河原宏、山本薩夫、篠田正浩らの諸監督と組み、大作や問題作を製作した。1970年の大阪万博では富士グループのパビリオンをプロデュースした〔日外アソシエーツ現代人物情報より〕。1972年ごろ芸苑社に参加。 主なプロデュース作品に、今井監督「キクとイサム」、勅使河原監督「砂の女」、豊田四郎監督「恍惚の人」、山本監督「華麗なる一族」「不毛地帯」、市川崑監督「犬神家の一族」など。 2006年3月31日、脳幹出血のため東京都新宿区の病院で死去、82歳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「市川喜一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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