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MPD・平和と民主運動は、新左翼系学生運動団体「日本学生戦線」「立志社」を母体として1983年に結成された日本のミニ政党〔ザ選挙TOP> 参議院 >第14回参議院議員選挙 >比例区>MPD・平和と民主運動 〕。共産主義者同盟から派生。毛沢東主義の影響を受け、ポル・ポト派の支援などを行なっていた。 結成時の呼びかけ人は、田英夫、横路孝弘、八代英太、斎藤まさし(本名:酒井剛)らであった。また、参院選出馬時は、宇都宮徳馬が推薦人となった。 1990年に「大衆党」へ改名。下元孝子東京都議を代表に据える。1991年、鈴木俊一東京都政への評価を巡り、鈴木を支持する田、斎藤らと反鈴木の下元らの間で対立。下元は離党する。 1995年には田らの結党した新党護憲リベラル及び「平和:市民」へ合流。「平和:市民」が解党し、田が社民党へ入党した1996年からは「市民の党」という党名で活動中。関東を中心に地方議員がいる。 == 市民の党 == 1996年、各地の自治体議員や市民運動に取り組む仲間が参加して結成された政党。企業、大労組、宗教団体、業界団体の支援はいっさい受けず、活動はすべて市民一人ひとりのボランティアとカンパ。ヒモ付きでないから、恐れず、本当のことを言い、行動していると主張している。1990年代後半より、市民の党が主に無所属候補を勝手連で応援し、当選が相次いだ。代表の斎藤は「勝手連市民パワーを巻き起こした、(市民派)選挙の神様」としてメディアでもてはやされた。2005年6月には都議選候補の一本化で、2006年10月には衆院補欠選挙の推薦で、菅直人と代表の斎藤は共闘する記者会見などを開き、握手を交わしている〔【民主と北朝鮮】菅「献金先」と総連関連ビルの"怪しい関係" zakzak 産経新聞、2011年8月5日。〕。 事務所は国会に近い東京都千代田区平河町の龍伸ビル(9階建てで、1階部分は駐車場)である。このビルの元オーナーは、1982年の金日成の70歳の誕生日に1億円もの祝賀金を送り愛国賞銀メダルを貰うなど『北への送金王』と言われ、1990年頃にMPD・平和と民主運動が同ビルに入居した1ヶ月後にギフト会社の女性社長への数千億円の融資トラブルに巻き込まれ監禁され、1994年に新宿の路上で射殺された朝鮮総連の大物商工人、具次龍・龍伸興業会長であった。後に競売で第三者に渡った形になったが現在も、「在日本朝鮮青年商工会中央常任幹事会」会長で2004年には会として民主党のパーティー券を30万円分購入した事もある、具次龍の縁戚になる具本憲の龍伸興業が、8・9階で不動産関連会社など3社を運営している〔〔拉致被害者家族も吐き気!菅と北のあまりにも深い闇 zakzak 産経新聞、2011年7月22日。〕〔東京基督教大学教授・西岡力 首相献金が浮かび上がらせた闇 産経新聞、2011年7月20日。〕。 以下、市民の党が勝手連で応援し、それぞれ当選した国会議員等である。 *1998年 - 中村敦夫参議院議員 *1999年 - 秋葉忠利広島市長 *2000年 - 川田悦子衆議院議員(東京21区・補欠選挙) *2001年 - 堂本暁子千葉県知事 *2002年 - 黒岩宇洋参議院議員(新潟県・補欠選挙)、篠田昭新潟市長 *2004年 - 喜納昌吉参議院議員 *2006年 - 嘉田由紀子滋賀県知事 *2007年 - 大河原雅子参議院議員 *2013年 - 山本太郎参議院議員 現在、東京都や神奈川県などを中心に自治体議員が活動しており、東京では武蔵野市、三鷹市、立川市などの市議会に議員がいる。1990年には下元孝子が都議会議員に当選し1期務めた。また、小金井市議会では2議席を有し、野見山修吉が市議会議長を務めていたが、2013年の市議選において2名とも落選し議席を失った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「MPD・平和と民主運動」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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