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市河 麻由美(いちかわ まゆみ、1976年5月3日 - )は、東京都出身の女子陸上競技元選手(長距離走・マラソン)、現指導者。 陸上競技の名門である市立船橋高校在学時には、全国高校女子駅伝に2度出場。高校卒業後は三井住友海上(当時・三井海上)へ所属。なお、市船橋高校の陸上部監督だった鈴木秀夫は、1995年に市河の高校卒業・社会人入りと同時に、三井住友海上の監督(2009年に退任)となった。アテネオリンピック女子マラソン5位入賞の土佐礼子や、女子10000m日本記録保持者で北京オリンピック代表の渋井陽子らとは、かつてのチームメートであった。 ==経歴== ハーフマラソンでは、世界ハーフマラソン選手権に2度出場(1996年・1時間13分42秒・18位、1998年・1時間13分16秒・34位)。また1997年のソウル国際ハーフマラソンでは1時間14分32秒、1998年の宮崎女子ロードレースでも1時間12分22秒の各ゴールタイムで、2度の優勝を果たしている。 女子マラソンでは、1997年9月のベルリンマラソンが初マラソン、6位だった(優勝はアイルランドのマッキーナン)。1999年3月名古屋国際女子マラソンでは、10Km過ぎで先頭集団から遅れたもののレース中盤から徐々に追い上げ、日本人トップの2位入賞でゴールした(優勝はロシアのリュボフ・モルグノワ)。 同年8月セビリア世界陸上女子マラソン代表に選ばれたが、本番のレースでは途中10Km地点を過ぎてから転倒によるアクシデントが響いて、17位に終わった(優勝は北朝鮮のチョン・ソンオク、2位に市橋有里。日本女子団体戦では金メダル獲得)。2000年3月の名古屋国際女子マラソンに出走予定だったが、足の故障が回復せずにエントリーを断念、同年9月のシドニーオリンピック女子マラソン代表入りを逃した。 2000年8月北海道マラソンでは、気温30度を超す猛暑の中フルマラソン初優勝を果たして復活を果たす。2001年3月の名古屋国際女子マラソンは7位に留まったものの、マラソンの自己最高記録をマークした(優勝は松尾和美)。同年8月の北海道マラソンでは2位と、惜しくも2連覇はならなかった(優勝は市河と同期生の千葉真子)。 2003年、故障が長引き体力の限界を理由に、同年4月かすみがうら(霞ヶ浦)マラソンの出走を最後に現役を引退。2005年、NSCA公認パーソナルトレーナーの資格を取得。翌2006年にはピラティスインストラクターの資格も取得し、現在は陸上競技の指導者(ランニングアドバイザー)としても活動中。 2006年8月、5年ぶりに真夏の北海道マラソンへ選手としてエントリー、18位でゴール(同レースでは資生堂の吉田香織が初マラソン初優勝。引退レースの千葉真子は11位に終わる)。同年11月、東京国際女子マラソンでは髪を切って原点に戻って初挑戦、冷たく強い風雨の悪条件の中25位(同レースでは元同僚の土佐礼子が優勝、シドニー五輪金メダリストの高橋尚子は3位と敗れた)。同年12月10日のホノルルマラソンは、足の故障により途中棄権した(その後40Km地点から再び出走しゴール地点へ。なおホノルルマラソンの公式サイトは、4時間5分15秒で完走となっている) 2011年6月、サロマ湖ウルトラマラソン(50Km女子の部)に出場、5時間06分46秒で完走を果たした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「市河麻由美」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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