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習志野市立習志野高等学校(ならしのしりつ ならしのこうとうがっこう)は、千葉県習志野市東習志野一丁目にある市立高等学校。通称は「市立習志野」(いちりつならしの)、略称は「習高」(ならこう)や「市習」(いちなら)。 == 概観 == 1957年、初代習志野市長の白鳥義三郎指導のもと創立。全日制・定時制課程にそれぞれ普通科と商業科の2学科を擁する。初代校長は、のちに日本体育協会副会長や八千代松陰中学・高校創立者となった山口久太。習志野高校の校歌は、山口の作詞によるものである。〔習志野高校の歩み 習志野市立習志野高校・習友会〕 1975年に東習志野に移転するまで、現在の京成津田沼駅周辺(習志野市役所の向かい側)に校舎を構えていた。 部活動が盛んで、サッカー・野球、ボクシング、バレーボールの強豪校である。野球部はかつては甲子園常連校で、公立高校ながら1967年と1975年の夏の甲子園で2度の全国制覇を成し遂げた。卒業生のなかには、前東京ヤクルトスワローズ監督の小川淳司、野球解説者の掛布雅之や谷沢健一などがいる。 サッカー部は1965年と1971年の全国高校サッカー選手権や、1995年のインターハイで全国制覇の経験がある。 文化部では、吹奏楽部が全日本吹奏楽コンクールや全日本マーチングコンテスト等で連続出場を維持し歴代成績において全国上位3校に含まれる成績を残している。 夏休みには習志野市の姉妹都市、アメリカ合衆国アラバマ州・タスカルーサ市で行う海外英語研修がある(希望者対象)。 正門脇にあるダイオウマツ(7本)は、2002年11月15日に「習志野市名木百選」に指定された。 定時制については、創立以来57年で2064人(普通科1298人・商業科766人)の卒業生を送り出し、2014年3月末日をもって閉課程となった。〔定時制・閉課程のごあいさつ 習志野市立習志野高校〕〔定時制の学校概要 習志野市立習志野高校〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「習志野市立習志野高等学校」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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