|
帝人三原男子バレーボール部(ていじんみはら だんしバレーボールぶ)は、かつて帝人三原工場で活動していた男子実業団バレーボールチームである〔女子バレーボール部も存在し、第7-8回の国民体育大会バレーボール競技に出場している。〕。 == 歴史 == チーム創設は1937年(昭和12年)頃とされる。戦後(昭和20年代)に本格的に活動を開始、コーチに和田助則や長崎重芳を招聘した。 1951年6月、全日本実業団選手権大会に初出場し3位入賞。1953年10月には第8回国民体育大会に初出場し、ベスト8に入った。こうした強化策が実を結び、1956年7月の全日本実業団選手権で初の全国制覇を勝ち取る。1962年にも全日本総合で全国制覇を果たす。 1963年、小瀬戸俊昭が全日本に招集され、翌年の東京オリンピックにおいて銅メダル獲得に貢献した。1969年には第1回実業団リーグが始まり、18回連続出場している。 1984年、帝人は構造不況業種である繊維業界にあり経営状態が芳しくなかったことから、各工場にあったバレーボール部を廃し、三原工場の本チームのみを存続させた。これを期にチーム名を帝人三原から帝人に改称している。 1987年5月、帝人はついに三原工場男子バレーボール部も廃部とした。主力選手であった浅井良彦は松下電器に移籍、多くは社業専念となり40年に及ぶチームの歴史に幕を閉じた〔月刊バレーボール 1987年7月号 168ページ〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「帝人三原男子バレーボール部」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|