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帝国クライス[ていこくくらいす]
帝国クライス(ていこくクライス、)とは、神聖ローマ帝国で16世紀に確立した統治システムである。帝国を複数の帝国等族〔帝国レーエンを得ているもので、聖俗諸侯のほかに伯、帝国都市、有力聖職者(修道院長など)を含む。〕を包含した10のクライスに分け〔ただし、帝国騎士領、スイス同盟領、イタリア、イェーバー、ディトマルシェン農民共和国、ボヘミア王国およびこれに附属する地方であるシュレージエン、ラウジッツ、モラヴィアは除く。〕〔1512年以前は、選帝侯領やハプスブルク家の相続領が除かれており、6つであった。〕、ラント平和(地域内の治安維持)にあたった。平和破壊活動(一揆、暴徒化した傭兵、諸侯の侵略行為など)の規模に応じ、隣接するクライスと共同でその平定にあたることもあった。 「クライス()」という言葉は、現在も行政単位として用いられており、日本語では一般に「郡」と訳されている。ただし、本項での「クライス」はすべて帝国クライスを意味する。 == 概要 == 帝国クライスの治安維持活動により、弱小等族単独では対応が困難であった大規模な平和破壊活動に対処することが可能となり、いたずらな戦禍の拡大を防げるようになった。また、クライス会議を通じて地域行政の調整を行うことで、帝国の連邦的性格を決定づけた。帝国クライス制度は、いわゆる「アウクスブルクの宗教和議」で名高い1555年のアウクスブルク帝国議会で審議され、発令された帝国執行令で一応の完成を見た。しかしこの制度は、帝国等族と皇帝の中間で機能するシステムであり、両者の力関係から、その位置づけは帝国執行令以前も以後も、時代と共に変遷している。たとえば防衛は、創設時にはその管轄外であったが、帝国末期には防衛も担うようになった。特にフランスに隣接する地域では、ハプスブルク家の私兵と化した帝国軍に代わってクライス軍が帝国防衛の主戦力となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「帝国クライス」の詳細全文を読む
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