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決号作戦(けつごうさくせん)は、大東亜戦争(太平洋戦争)において日本軍が立案した日本本土における防衛作戦の呼称。ポツダム宣言受諾のため、この作戦が発動されることはなかった。厳密には「帝國陸海軍作戦計画大綱」での陸軍案の名称であるが、ここでは陸海双方について記述する。 :''予想された戦闘の全体概要については本土決戦を、連合国軍の日本本土上陸作戦についてはダウンフォール作戦を参照のこと'' == 背景 == 日本政府・大本営が「日米の天王山」と呼号して全力を注いだ比島決戦では、1945年(昭和20年)1月9日のアメリカ軍のルソン島リンガエン湾上陸によって、フィリピンにおける日本軍の敗北がほぼ決定的なものとなり、同地の喪失とイギリス軍やアメリカ軍などの連合国軍の本土進攻は時間の問題となっていた。 当時の日本軍は、マレー半島やインドシナ半島、南洋諸島や中国南部、同盟国である満洲国内における制海、制空権は確保していたものの、アメリカ海軍やイギリス海軍の潜水艦や航空機の攻撃による輸送船、そしてそれを守る航空機の燃料、搭乗員や潜水艦の不足に加え、マリアナ海戦とレイテ沖海戦以後は、日本本土に隣接する沖縄から台湾島にかけての制海、制空権を既に喪失しており、さらに連合国軍の飛び石作戦が展開されたことにより、上記の勢力圏と内地の補給線が遮断され、これらの勢力圏からの燃料や物資の運搬のみならず、陸海軍の増援も自由に行えない状況に陥っていた。 さらに同盟国であるドイツ軍もヨーロッパ各地で敗北を重ねており、ドイツ本土にイギリス軍やアメリカ軍、ソ連軍などの連合国軍が侵攻していた上に、ドイツの敗北後にはソ連による対日参戦も予想されていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「決号作戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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