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帝辛[みかどからし]
帝辛〔これら諡号・名とも殷滅亡後に呼ばれたものである。帝辛という「帝」を含む諡号は先王に例がないが、甲骨文占卜に武丁を帝丁と呼ぶ事例もあることから、殷王の諡号として必ずしも矛盾と断ずることはできない。〕(てい しん、、紀元前1100年ごろ)は、殷朝最後の第30代王。周の武王に滅ぼされた。紂王〔(ちゅうおう、)の名でも知られる。 帝乙の末子。異母兄に微子啓と微仲衍らがいる。子に武庚禄父ら。 史書の上では、暴虐な政治を行なった王とされ、『史記集解』は「義を残(そこ)ない、善を損なうを紂と曰う」と記されている。 == 在位 == 在位およそ30年と推定されている。殷墟からは帝辛が埋葬される予定だったと思われる空墓が発見されているために、当時としてはいつ亡くなっても不思議ではない年齢で最後を迎えたと推測されている〔帝辛の暴君説を疑問視している作家の陳舜臣は高齢による老害の可能性もありうると著書の『中国五千年』で指摘している。〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「帝辛」の詳細全文を読む
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