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師管区(しかんく)は、大日本帝国陸軍の管区。師団の管轄する区域であり、天皇に直隷した師団長が、管区内の軍政を統括した。 == 明治期の師管 == 師管区の歴史は、明治4年(1871年)、全国に4鎮台が設置され管轄する区域が定められた時に始まる。 明治6年(1873年)1月、鎮台の配置が改定され6鎮台になるとともに、鎮台が管轄する区域として軍管が定められた。各軍管には2、3箇所の営所が設けられ(計14箇所)、それぞれに歩兵連隊が1個ずつ置かれた。さらに同年7月、鎮台条例の公布により、1軍管が2、3個の師管に区分されるとともに、鎮台の設けられていない北海道が第七軍管として追加された。 明治18年(1885年)の鎮台条例改定により、1軍管が2師管に区分され、各師管に旅団1個、歩兵連隊2個が置かれることになった。 明治21年(1888年)、鎮台が師団に改編されたのに伴い、従来の軍管が師管、師管が旅管に改称された。各旅管は4個の大隊区に区分され、必要に応じて警備隊区が設置された。また、明治23年勅令第82号により、一部の師管について区画の変更が行われた。さらに、明治27年(1894年)には第七師管が他の6師管と同様、旅管2個、大隊区8個に区分された〔明治27年勅令第177号。〕。 明治29年(1896年)、師団の増設に伴う師管の改編によって旅管が廃止されて13師管となり、従来の大隊区は連隊区と改称された〔明治29年勅令第381号。〕。なお、明治31年4月1日に一部の管轄の変更が行われた〔明治32年勅令第53号。〕。 明治32年(1899年)、近衛師管の管轄する区域が全て第一師管に移管された。また、明治36年(1903年)、師管と連隊区の間に旅管が設けられた〔明治36年勅令第13号。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「師管区」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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