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帰一協会(きいつきょうかい)は1912年(明治45年)6月20日に設立された、宗教者同士の相互理解と協力を推進する組織である。1942年(昭和17年)12月20日に解散。 == 概要 == 宗教家懇談会の流れで、1912年2月25日に三教会同が行われる。その後、日本女子大学創立者の成瀬仁蔵を中心に、姉崎正治、浮田和民、渋沢栄一、森村市衛門左衛門らの学者・実業家らが、1912年4月11日に渋沢邸にて帰一協会準備会を行い、同年6月20日に帰一協会が正式に発足した。 協会の標語は「階級、国民、人種、宗教の帰一」。これは、諸宗教・道徳などが、同一の目的に向かって相互理解と協力を推進することを期した会である。 協会運営のための会費は、一般会員は年間6円で、協会のパトロンである渋沢は年間1000円を寄付した。 当初の会員は、一流の、学者・実業家・宗教家ら、100名ほど。会員には、江原素六、島田三郎、新渡戸稲造、石橋智信、今岡信一良、高木八尺や、M・C・ハリス、D・C・グリーン、C・マコウリー、W・アキスリングなどの宣教師たちも参加した〔高橋2003年、193頁〕。 1912年8月に成瀬は渡米し、多くの著名人と面会して意見や著名を募り、1912年11月30日には「米国帰一協会」が成立したが、間もなく解散してしまった。 1919年(大正8年)に成瀬が亡くなり、1931年(昭和6年)に協会の財政的支えであった渋沢が亡くなり、1934年(昭和9年)に姉崎が東大を退職し、運動は衰退していった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「帰一協会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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