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常徳殲滅作戦[じょうとくせんめつさくせん]
常徳殲滅作戦(じょうとくせんめつさくせん)とは、日中戦争中の1943年11月から12月の間に行われた、湖南省北部での日本軍と中国軍の戦闘である。常徳を拠点とする中国国民党軍の第6戦区軍に、日本の第11軍が相当の打撃を加えた。日本軍の秘匿名はよ号作戦。 == 背景 == 1943年(昭和18年)9月、太平洋方面で日本軍が次第に劣勢となる中、日本は絶対国防圏を構想し、その守備兵力として中国方面の戦力を大量に転用する「甲号転用」を計画した。その内容は、5個師団を即時転用するほか、機甲師団1個を含む5個師団を大本営直轄に移すというものだった。これは、広大な占領地を守る中国方面の日本軍にとっては負担であり、中でも隷下7個師団のうち精鋭3個師団の抽出が予定された第11軍では大問題となった。 そこで、第11軍司令官横山勇中将は、自軍の戦力が十分なうちに出撃して中国側の戦力を削ぎ、以後の防衛作戦を容易にするという作戦を立案した。具体的には、中国の第6戦区軍の拠点である常徳に侵攻して、守備隊と救援にくるだろう中国軍を捕捉撃破したうえ、すぐに撤収するというものだった。横山中将の上申を受けて、大本営は常徳作戦の実施を許可した。その目的としては中国戦線の維持に加え、ビルマ戦線への中国軍転用を牽制することも公式には作戦目的とされていたが、横山中将の主たる意図はあくまで中国戦線での積極防御にあった〔森金(1983)、139-140頁。〕。秘匿名の「よ号作戦」は、横山軍司令官の頭文字と推測される〔『昭和十七・八年の支那派遣軍』、459頁。〕。なお、甲号転用準備は並行して進行中で、10月頃には先遣隊がマリアナ諸島などへと出発し始めていた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「常徳殲滅作戦」の詳細全文を読む
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