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常田 真太郎(ときた しんたろう、1978年2月25日 - )は、日本のミュージシャン。スキマスイッチで鍵盤、トータルアレンジを担当。通称「シンタくん」。愛知県名古屋市緑区出身。既婚。 == 来歴について == * 1978年2月25日に愛知県名古屋市緑区にて誕生。幼少期から中学生時代にかけては、サッカーやスキー、野球などスポーツに夢中だった。 * 高校生になり、1992年のバルセロナオリンピックでの古賀稔彦の金メダル獲得に感銘を受けたことから、柔道部に所属する。その後、女の子からモテたい一心でバンド活動を始め、2年時の文化祭で初めて鍵盤を弾く。 * 高校を卒業した年の夏、とあるライブハウスの演者として出演した際に、バンド仲間の1人だったヨツヤタカヒロ.が大橋卓弥の中学時代の先輩であったことから、彼を通じて大橋と出会う。この時、大橋はサングラスをかけたまま常田に対し「ちぃ~っす」と挨拶をしており、その時の印象は「すごく斜に構えた怖い人だな」という印象だった。 * それまで研究者になる事を夢見ていたものの、バンド活動をきっかけに本格的に音楽に目覚める。 * 専門学校を出た後、いくつものバンドを掛け持ちながら、他アーティストの楽曲アレンジなどを手がけ、さらにインディーズレーベル「空間レコード」の経営も行う。 * スキマスイッチ結成前には「ロケットマンボウズ」というバンドを組んでいた。 * 大橋が1人で活動していることを知り、彼の歌声とメロディセンスに惚れ込んでいた常田は、一緒に音楽をやろうと積極的にアプローチを続ける。しかし、当時の大橋は、常田に対して良い印象を持っていなかったため、結成には至らず(当時は鍵盤担当ながら大橋よりも下手だったことが一因)。 * ある日、大橋からある楽曲のアレンジなどのレコーディングを頼まれ、引き受ける。その後、その楽曲を他の作品と共に売り込みに行くと、その曲が群を抜いて高評価を受ける。その時「組んでるの?」と聞かれ、即座に「はい、組んでます。」と言ってしまったため、後に引けなくなってしまった常田は、その日の夜に電話で大橋に「組むことになったから」と言い、デビューできるなどと言い包めてスキマスイッチを結成。 * スキマスイッチとしての活動以外にも、自身のプライベートレーベル「doppietta」を立ち上げ、プロデュースワークにも精力的に取り組んでいる。 * 2005年に一般人の女性と結婚。 * 2007年年末に第1子誕生。 * 2008年初頭、トレードマークのアフロを断髪。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「常田真太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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