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常見忠 : ウィキペディア日本語版
常見忠[つねみ ただし]

常見 忠(つねみ ただし、1930年11月11日 - 2011年11月30日)は、日本の元プロ野球選手釣り師群馬県桐生市出身。
==略歴==

* 群馬県立桐生中学校(旧制、現群馬県立桐生高等学校)在学中に1947年春夏の甲子園大会に投手として出場。
* 1949年 明治大学に入学、同年11月プロ野球2リーグ化とともに中退し、東急フライヤーズ(現北海道日本ハムファイターズ)に入団。しかし肩を故障し1950年同球団を退団する。
* プロ野球退団後は昭和薬科大学を経て1957年から1965年にかけて栃木県内の病院に勤務。このころ少年時代に親しんだ渓流釣りを再開。エサ釣りからテンカラへ進み、1964年から新潟県奥只見の渓流へ通う。
* 1967年 新潟県銀山湖奥只見湖)にてルアー(スプーン)を用いて初めて大イワナを釣る。銀山湖のルアーフィッシングを釣り雑誌に発表し日本のルアーフィッシング普及に貢献する。
* 1975年 「奥只見の魚を育てる会」を結成し事務局長に就任。会長は開高健
* 1977年 株式会社セントラルフィッシング代表取締役に就任。
* 1986年 開高健の依頼を受け、タイメン(イトウ)の調査のためモンゴルに遠征、10匹のタイメンを釣って存在を証明、開高のロケへつなげる。
* 1990年 前年の開高健死去にともない、「奥只見の魚を育てる会」代表に就任。開高は永久会長となる。
* 1996年 新潟県および北魚沼郡小出町(現魚沼市)の生涯学習指導員に選出される。
* 2011年 逝去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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