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幕末の砲艦外交[ばくまつのほうかんがいこう] この項では、幕末の砲艦外交(ばくまつのほうかんがいこう)について概説する。 ==アダム・ラクスマンの来航と通商の要求(1792年)==
ロシアは当初日本との通商を行うに当たり、パベル・レベデフ=ラストチキンのような商人の活動に期待していた。しかし、陸軍の軍人であったアダム・ラクスマンは、大黒屋光太夫ら漂流者の日本への送還すると同時に日本との通商を行うことを計画し、エカチェリーナ2世の命を受けることに成功した。通商要望の信書はエカチェリーナ2世ではなくシベリア総督の名前で出されたが、ラクスマンはロシア最初の遣日使節となった。1792年9月、帆走ブリッグエカチェリーナ号を率いて根室国に到着した。ラクスマンは江戸に出向いて漂流民を引き渡し、通商交渉をおこなうことを希望したが、老中松平定信らは、ラクスマンを箱館に廻航させて漂流民の身柄を受け取ること、シベリア総督の信書は受理せず、もしどうしても通商を望むならば長崎に廻航させることを指示した。この結果、ラクスマンらは1793年6月、箱館に入港して上陸し、松前に赴いて光太夫らを日本側に引き渡した。ラクスマンは長崎への入港許可証(信牌)を交付されたが、長崎へは向かわずに帰国した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「幕末の砲艦外交」の詳細全文を読む
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