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幡山村(はたやまむら)は、かつて愛知県愛知郡にあった村である。愛知郡北東部に位置する。現在の瀬戸市の南部に該当する。 この地には古来より本地村、菱野村、山口村の3つの村があり、中世以前は山田郡に属し豪族が住み着いた土地である。明治22年に本地村と菱野村が合併し、本地村にあった八幡社と菱野村にあった熊野社から一文字を取って幡野村とした。この幡野村が明治39年に東隣りの山口村と合併し幡山村が誕生した。昭和の大合併まで存続したが昭和30年に瀬戸市に編入され消滅した。村名は幡野村と山口村から一文字ずつ取った合成地名である。 北南東の三方を丘陵地に囲まれ里山がある農村地帯であった。かつては陶磁器(瀬戸焼)生産の燃料として周辺の樹木が伐採され丘陵地が禿山となったが、治水対策で大規模な植林が行われた。 == 沿革 == * 江戸時代末期、この地域は尾張藩領であった。 * 1889年(明治22年)10月1日 - 本地村と菱野村が合併し、幡野村となる。 * 1906年(明治39年)5月10日 - 幡野村と山口村が合併し、幡山村となる。 * 1955年(昭和30年)2月11日 - 瀬戸市に編入される。編入時の人口は5,313人。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「幡山村」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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