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干将・莫耶[かんしょう ばくや] 干将・莫耶(かんしょう・ばくや、干将は本来干將、莫耶は莫邪とも)とは、中国における名剣、もしくはその剣の製作者である夫婦の名である。剣については干将が陽剣(雄剣)、莫耶が陰剣(雌剣)である(この陰陽は陰陽説に基づくものであるため、善悪ではない)。また、干将は亀裂模様(龜文)、莫耶は水波模様(漫理)が剣に浮かんでいたとされる(『呉越春秋』による)。なお、この剣は作成経緯から、鋳剣(鋳造によって作成された剣)である。人の干将・莫耶については、干将は呉の人物であり欧冶子と同門であったとされる(『呉越春秋』による)。 この夫婦および子(赤、もしくは眉間尺)と、この剣の逸話については『呉越春秋』の闔閭内伝(闔閭内傳)や『捜神記』などに登場しているが〔具体的には『呉越春秋』闔閭内伝、『捜神記』巻十一、『拾遺記』、『列異伝』、『博物志』といったもの。『史記』や『荀子』にも名前程度の記述がある。〕、後述するように差異が大きい。20世紀には魯迅がこの逸話を基に『眉間尺』(後に『鋳剣』と改題)を著わしている。なお、莫耶、莫邪の表記については、『呉越春秋』が莫耶、『捜神記』が莫邪となっているが、日本の作品では、いずれも莫耶と表記する。 == 概要 == この剣にまつわる話の内容としては、書によって差異があるが、大きく分けると、この名剣誕生の経緯と、その後日談にあたる復讐譚に分かれている。ただし『呉越春秋』には(現在伝わっている限り)復讐譚にあたる後日談は無い(後述する#呉越春秋における記述を参照)。また、『呉越春秋』では製作を命じたのは呉王闔閭となっているが、『捜神記』においては、これは楚王となっている〔呉、楚とも春秋時代の中国南部に存在した国であり、当時のこの地域、特に東南部は優れた金属の精製技術を持っていた。20世紀半ばに出土した越王勾践の剣などが、それを証明している。ただしこの剣は青銅製である。〕。なお、製作の過程については、昆吾山にすむ、金属を食らう兎の内臓より作られたとする話を載せるものも存在する(『拾遺記』)。また、後世の作品、特に日本の物については、中国の物とはかなりの差異が生じている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「干将・莫耶」の詳細全文を読む
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