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平井信正[ひらい のぶまさ] 平井 信正(ひらい のぶまさ、生年不詳〔ただし、平井家所蔵の系譜によれば、天正13年2月28日に死去したとき、94歳だったという()。〕 - 天正13年2月28日(1585年3月29日))は京都出身の宮内卿。戒名、梅応院説日円居士。加治田村旧家平井家の始祖。 ==生涯== 軍術に長じて御所に仕えていた高官であったが、戦乱を避け縁故の道三の所へ寄寓した。道三が子の義龍と不仲なのでたびたび諫めたが直らないので、道三の所を出て栗野郷に住んだ。天文16年(1547年)、道三は守護の土岐頼芸を攻めたが、信正は頼芸方について戦った(美濃明細記)。弘治元年(1555年)の道三討伐では、道三の非道を憎んで反対の立場をとり、義龍方に加わった〔。 信正は軍術・和歌・連歌・蹴鞠に長けていたので、後に加治田城主斎藤利治が人物を惜んで城下清水口に賓客として住ませ、その地で死去した〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平井信正」の詳細全文を読む
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