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平和相互銀行(へいわそうごぎんこう)は、かつて存在した相互銀行。1986年10月1日住友銀行(現・三井住友銀行)に吸収合併され消滅した。 == 概歴 == === 創業と乱脈経営 === 戦前は東北林業という商号の殖産会社であったが、終戦直後の屑鉄売買で財を成した小宮山英蔵(以下英蔵と記す)がこれを買収した。小宮山英蔵は小宮山常吉参議院議員の長男で、弟に小宮山重四郎郵政大臣、姪に小宮山泰子衆議院議員、孫にミュージシャンの小宮山雄飛がいる。 東北林業は1949年に社名を日本殖産株式会社と改め、その後平和貯蓄殖産無尽と変更し、看做無尽の日掛金融に業容を転換した。1951年の相互銀行法(法律第199号)の制定で相互銀行に転換、平和相互銀行(以下平和相銀と記す)となった。 相互銀行転換後暫くして、夜9時までの窓口営業を実施(後に行政指導により夜7時までの営業に短縮)。当時、同行の顧客の多くが水商売で営業が夜遅くになることに加え、法的に午後3時までの営業を義務付けていたことに着目、大蔵省に直談判して夜間の窓口営業を認めさせたと言われている。また、英蔵自身が典型的な夜更かしだったという個人的な事情もあったともされる。 こうした夜間の窓口営業に加え、駅前から住宅地まで首都圏に店舗網を整備し、更に都市銀行各行と提携しATMではどの銀行のキャッシュカードでも使用可能とするなど利用者の利便性を重視した。このため最盛期には店舗数100・資金量1兆1500億円相互銀行業界第6位の大手に位置するまでになった。 その一方で、英蔵は私的な利益を図るため関連会社を次々と設立・買収。その中には総武流山電鉄や後の内紛でクローズアップされることとなる太平洋クラブなどがある。また、英蔵の私的な側近である"四天王"も平和相銀と密接な関係を持つようになり、こうした関連会社や関係会社が経営不振であったとしても融資が続けられるなど、後に明らかとなる放漫かつ乱脈経営の伏流が既に見えていた〔平和相銀のオーナー小宮山は、パリーグのライオンズ球団(太平洋クラブ→クラウンライター)の資金面でのオーナーであった。同球団が短期間で西武に売却されたのは、平和相銀の経営悪化も関係している。〕。 更に"四天王"との関係や実弟・重四郎が自民党の衆議院議員だった縁から、政治家や総会屋・右翼なども平和相銀との関係を持つようになり、「闇の紳士の貯金箱」とまで噂される様になった〔同様のケースとして日本債券信用銀行(日債銀)があげられる。日債銀は元自民党副総裁・金丸信に対して「カマキリ紳士」の名で口座を開設するなど、平和相銀同様政界や総会屋・右翼などとの関係が深かったといわれ、実際本店の駐車場を右翼の街宣車に利用させていた。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平和相互銀行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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