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平基親[たいら の もとちか]
平 基親(たいら の もとちか)は平安時代末から鎌倉時代前期にかけての公卿。桓武平氏高棟王流、 参議・平親範の嫡男。 == 経歴 == 蔵人所雑色・六位蔵人を経て、保元3年(1158年)従五位下に叙爵。出雲守・伯耆守と地方官を歴任した後、中宮大進・五位蔵人・右少弁を兼ね、高倉天皇と中宮・平徳子に仕えるが、治承三年の政変(1179年)で解官となる。 寿永2年(1183年)、右少弁に還任すると、文治2年(1186年)に従四位下、文治5年(1189年)には正四位下・左大弁と弁官を務めながら順調に昇進し、建久元年(1190年)、従三位・兵部卿に至る。正治年間に『官職秘抄』を編集。 建永元年(1206年)に出家。浄土宗の法然に師事する一方、同族の平光盛らの師となる。『選択本願念仏集』の編纂などにも関わった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平基親」の詳細全文を読む
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