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平安通宝(へいあんつうほう)は、その鋳造地、時期共に確定していない不知の銭貨である。 == 概要 == 銭容は大きく分けて正様、濶縁、大様と3系統がある。 安南銭説(上海市銭幣学会 1985)、長崎私鋳銭説、加治木銭説、豊後小倉説(日本銀行調査局 1972)等あるが、いずれも確実な根拠はない。 遺跡からの発掘例が9例有り、内6例が東北地方に集中している。元号では無い銭文を刻む事と墓や寺院に関連した出土状況から宗教的な目的の為に造られた可能性が高い。 発掘状況と遺跡の存続期間から考察すると、東北地方の何処かで17世紀初頭頃、鋳造された説が最も有力である。〔高桑登「国内出土の平安通宝集成」、『出土銭貨 第15号』出土銭貨研究会、2001年〕 江戸時代の書物『銭範』〔流石庵、『銭範』善翁誌、1793年〕 によると「平安通宝安く子を生ず懐姙の婦人守になる」との事から、安産のお守りとして市中の間に出回っていた事が伺える。恐らく貨幣と厭勝銭、両面の性格を備えた銭貨として扱われていたと推測される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平安通宝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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