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平岡頼勝[ひらおか よりかつ]
平岡 頼勝(ひらおか よりかつ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。美濃徳野藩初代藩主。 == 生涯 == 永禄3年(1560年)、平岡頼俊の子として誕生。 はじめ諸国を流浪する浪人であったが、豊臣秀吉に才能を認められ、その家臣となった。 秀吉の甥・小早川秀秋が小早川氏の養子として入った時、稲葉正成と共に秀秋付の家老となった。また、正室の従兄弟である黒田長政とは懇意であり、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいて長政と通じ、正成と共に主君・秀秋に東軍に寝返ることを勧めた。戦後は秀秋とは別に備前児島郡2万石を与えられ家老に任じられた。秀秋の乱心に家臣の多くが出奔する中で、最後まで秀秋に忠義を尽くした。秀秋死後は浪人を経て徳川家康に仕え、美濃徳野に1万石の所領を与えられた。 慶長7年(1607年)2月24日に死去。享年48。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平岡頼勝」の詳細全文を読む
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