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平岡 頼資(ひらおか よりすけ)は、美濃徳野藩の第2代藩主。 慶長10年(1605年)、初代藩主・平岡頼勝の長男として河内で生まれる。慶長12年(1607年)の父の死去により、3歳で家督を継いで藩主となる。 晩年に庶長子の新十郎と次男の頼重が家督争いを起こし、後継者を指名せずして承応2年(1653年)1月8日(異説として7月4日)に死去した。享年49。 頼資の死後、平岡氏は家督争いの他、頼重の不行跡等により、家督相続が認められず、改易となった。ただし、頼重が1000石を与えられ、子孫は2000石(最終的には6000石)の旗本として存続することを許された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平岡頼資」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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