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平敏孝[たいら としたか] 平 敏孝(たいら としたか、1893年(明治26年)9月〔『人事興信録』第11版 下、タ122頁。〕 - 没年不詳)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。 ==経歴== 鹿児島県出身。平義光の三男として生まれた〔。第一高等学校を卒業。1917年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1918年、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。逓信省に入省し管船局属となる。その後、内務省に転じた〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』219頁。〕。 1919年、警視庁警視となる。以後、警視庁保安部保安課長、谷中警察署長、外神田警察署長、群馬県内務部地方課長、同学務課長、帝都復興院及び復興局経理部倉庫課長兼購買課長、岡山県学務部長、千葉県学務部長などを歴任。1930年、欧米各国へ出張。1931年6月、山梨県書記官・警察部長に就任。以後、千葉県書記官・警察部長、奈良県書記官・内務部長、福岡県書記官・総務部長を歴任〔〔『新編日本の歴代知事』1026頁。〕。 1936年9月24日、滋賀県知事に就任。県庁舎の改築を推進し、戦時下の緊縮財政を実施した〔『新編日本の歴代知事』641頁。〕。1940年4月9日、長崎県知事に転任。戦時緊縮財政を継続した〔。1942年6月15日、依願免本官となり退官した〔『官報』第4628号、昭和17年6月16日。〕。 戦後、公職追放となった〔。
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