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平松 康平(ひらまつ こうへい、1980年4月19日 - )は、静岡県静岡市清水区興津出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF。常葉学園橘高校出身。 == 経歴 == 1999年に清水エスパルスユースよりトップチームに昇格。ミスター・エスパルスこと澤登正朗の後継者としてサポーターや澤登本人から期待され続け、2001年には、当時の日本代表監督であったフィリップ・トルシエにより日本代表候補合宿にも招集された。チームが残留争いに巻き込まれた時期には、救世主的働きで幾度と無くスタジアムを沸かせている。しかしながら、怪我の影響もあり安定したパフォーマンスを発揮できずに苦しむことが多かった。 独特の風貌や型破りな発言、人柄、天性のものを感じさせる華麗なプレイ、地元出身ということなどが相まってサポーターからの愛憎を一身に受け続けていたが、2007年限りで清水エスパルスを本人の意思で退団した。 移籍リスト掲載後、J2チームからのオファーはあったが本人がJ1にこだわった結果、所属先が決まらないまま2008年シーズン開幕を迎えた。同年4月24日JFLのFC琉球へ加入。自ら背番号10を希望し、持って生まれたサッカーセンスとJリーガーとしての経験をチームにもたらすプレーヤーとして総監督のフィリップ・トルシエからも期待を受けた。2009年1月をもってFC琉球との契約が満了。 2009年10月、静岡FCに入団。11月1日放送のKICK OFF(静岡第一テレビ)で、自動車整備の仕事をしながらプレーする姿が紹介された。 2010年5月、藤枝MYFCに入団したが、11月に同チームを退団。これ以降の所属は確認されていない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平松康平」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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