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平生昌 : ウィキペディア日本語版
平生昌[たいら の なりまさ]
平 生昌(たいら の なりまさ、生没年不詳)は、日本平安時代中期の公家桓武平氏高棟王流従三位美作介平珍材の次男。官位正四位下播磨
== 経歴 ==
文章生出身の叩き上げで、但馬守中宮藤原定子)大進・備中守・播磨守などを歴任した。長徳2年(996年藤原伊周が失脚して大宰権帥に左遷された(長徳の変)際、密かに播磨国から入京したが、生昌はこれを藤原道長に密告した。
長保元年(999年8月9日一条天皇中宮であった藤原定子が敦康親王を懐妊し内裏を退出する際、生昌の邸が行啓先に選ばれた(定子の生家である二条邸が長徳元年(995年)夏に焼失したため。生昌邸が選ばれたのは、同母兄である惟仲の縁と思われる)。当時定子に仕えていた清少納言は、この時の様子を『枕草子』に記している〔『枕草子』第五段『大進生昌が家に、宮の出でさせ給ふに、』〕。なお、翌年定子は同じく生昌邸で媄子内親王を出産し崩御した。
寛弘6年(1009年)、東宮・居貞親王(のちの三条天皇御所への昇殿を許される。没年は不詳だが、長和5年(1016年)12月にはすでに卒去していたらしい〔『日本紀略』長和5年12月10日条〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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