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平田 幸正(ひらた ゆきまさ、1925年 - 2014年2月15日)は日本の医師、医学博士、元日本糖尿病学会会長、初代東京女子医科大学病院糖尿病センター所長。 == 来歴 == 山口県小郡町(現山口市)出身〔読売新聞 1997年5月12日朝刊12版 18面 「医療ルネサンス1480」欄〕。幼少期に開業医であった実父が急逝し、結核の母と自給自足で戦前戦中期を過ごした〔。同時期に多数の親類や知人を病で失い、「人命を救いたい」として自らも医者を目指し、九州大学医学部に進学した〔。 1948年9月に同学を卒業後に大学院に進み、助手、講師などを務めた。1960年から二年間の米国留学を経験し帰学。1970年に世界で初めてインスリン自己免疫症候群の症例を報告した〔。1953年7月 九州大学 医学博士。 論文の題は「血清内カリウムに関する研究」〔博士論文書誌データベースによる〕。 1969年10月から鳥取大学第一内科教授。1974年5月には日本糖尿病学会会長となった。同年夏には小児糖尿病サマーキャンプを企画し、自らも子ども達の指導とケアにあたった〔DIABETES NEWS No.141〕〔さかえ 19ページ〕。このサマーキャンプは今日も「小児糖尿病大山サマーキャンプ」として継続して開催されている。 1975年7月から東京女子医科大学第三内科教授となり、日本の大学病院初となる糖尿病センターを設立し初代所長に就任〔DIABETES NEWS No.141 〕。糖尿病センターは病院1号館内に設置されたが、単独建屋施設に入ったのは、1987年3月である。1987年から日本糖尿病協会副理事長、1990年から2年間、理事長となった〔さかえ 18ページ〕〔50年のあゆみ 99ページ〕。理事長時代には"患者友の会"であった同協会を、医師・コ・メディカル・患者たちの組織へと舵をきり、医療連携の強化を目指した〔50年のあゆみ 116ページ〕。 1991年3月まで糖尿病センター所長を務め定年退職。古巣である福岡に戻り、病院顧問として診療を続けた〔。 2014年2月15日、満88歳で没した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平田幸正」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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