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平維綱[たいら の これつな]
平 維綱(たいら の これつな)は、平安時代末期の武将。伊勢平氏の傍流、平清綱の子〔父清綱は平正度の四男貞衡の孫にあたる(『尊卑分脈』)。〕。平忠盛の家人。平家盛の乳母父。鷲尾、桑名を称す。 == 略歴 == 保安4年(1123年)頃に誕生した忠盛の次男・家盛の乳母父となる。 保延元年(1135年)8月、平忠盛の海賊討伐の賞により、右兵衛尉に叙任。天養の頃、院領(最勝寺領)の信濃国小河荘に下司の清原家兼からの譲り状と文書があると称して介入しようとし、鳥羽院庁がそれを禁ずる院庁下文を天養2年(1145年)7月に出す〔『長野県史 通史編第1巻 原始・古代』p. 822〕など、院領を中心とした平氏の勢力拡大の役割を担っている。 久安5年(1149年)3月、家盛が鳥羽法皇の熊野参詣に加わった道中で病により急逝すると、駆けつけた維綱は哀しみのあまりその場で出家した。 子の良平(桑名九郎)の子で、維綱の孫にあたる平桓平は早くから鎌倉の源頼朝傘下に入り、奥州合戦に参陣したという。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平維綱」の詳細全文を読む
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