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平賀興貞 : ウィキペディア日本語版
平賀興貞[ひらが おきさだ]

平賀 興貞(ひらが おきさだ)は、戦国時代武将安芸国人領主、平賀氏当主。平賀弘保の嫡男。
初めは大内氏に属し、元服時に大内義興偏諱を受けて興貞と名乗る。
大永3年(1523年)の鏡山城の戦い大内方鏡山城が落城すると、同年に父弘保が防御に優れた頭崎城を築いた。興貞は期待されてこの頭崎城に城主として入ったが、後に大内氏・尼子氏への対応で父や子の隆宗新九郎(後の広相)兄弟と意見を異にし、ついには親子で度々争うようになった。やがて尼子経久に通じるようになる。
天文9年(1540年)、大内義隆(義興の子)の命を受けた毛利元就が高屋保へと進出し、頭崎城を攻略した。敗れた興貞は近隣の篁山山頂付近に竹林寺を再建して出家した。家督は隆宗が継いだ。
没年不詳。出家後しばらくして没したと思われる。
== 参考資料 ==

*萩藩閥閲録
*歴史群像「毛利戦記」(学研)



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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