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大掾資幹 大掾 資幹(だいじょう すけもと、生没年不詳)は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士。常陸平氏の吉田家幹の次男。吉田から馬場(現在の水戸城)に拠点を移したことから馬場 資幹(ばば すけもと)とも呼ばれる。また、助幹とも表記される。大掾氏の祖と考えられている。 == 経歴 == 史料上の初見は建久元年(1190年)に源頼朝が上洛した際に先陣に加わったとされる『吾妻鏡』の記事が初出で、それ以前のことは不明であるが、他の常陸平氏と同様、佐竹征伐後に頼朝に従ったと思われる。 建久4年(1193年)、常陸平氏の最有力者であった多気義幹が失脚する(建久4年の常陸政変)と、頼朝から義幹の所領と所職を与えられるとともに常陸大掾に任ぜられた。 建保2年(1214年)には国府のある常陸府中(現在の茨城県石岡市)の地頭に任ぜられ、常陸中部に勢力を伸ばした。子孫は代々常陸大掾の地位を継承したため、「大掾氏」と称されることになった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大掾資幹」の詳細全文を読む
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