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平重衡とらわれの松跡[たいらのしげひらとらわれのまつあと]
平重衡とらわれの松跡(たいらのしげひらとらわれのまつあと)とは兵庫県神戸市須磨区須磨寺町1丁目にある石碑である。山陽電鉄須磨寺駅を出てすぐのところにある。 == 一ノ谷の戦い == 1184年(寿永3年)、源範頼、源義経兄弟が京を出陣すると平重衡は範頼勢が攻撃してくるであろう生田の森の副大将に任ぜられた(大将は兄・平知盛)。 いざ、範頼軍が攻めて来ると重衡は勇猛果敢に戦ったが力尽き海に留めていた味方の船に乗って退却しようとしたが西須磨で範頼の郎党・庄太郎家長(児玉党の本宗家5代目)に馬を射られ、落馬し、捕らえられた(『平家物語』では弟の庄四郎高家が生け捕ったとしているが、『吾妻鏡』には家長が生け捕ったと記されている)。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平重衡とらわれの松跡」の詳細全文を読む
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