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平野時男 : ウィキペディア日本語版
平野時男
平野 時男(ひらの ときお、1922年8月6日 - 1993年7月27日)は、日本柔道家講道館8段)。
皇宮警察総合警備保障の柔道師範を務めたほか、欧州各国で柔道指導を行いアントン・ヘーシンクウィレム・ルスカ等の世界チャンピオンを育てた事で知られる。
== 経歴 ==

=== 生い立ちから拓大入学まで ===
淡路島洲本市に生まれ、旧制・洲本中学校に入学した直後の1935年4月より柔道を始めた。2年生で初段位を取得すると推薦により平安中学校へ転校し、大日本武徳会武道専門学校師範を務める福島清三郎8段(のち9段)の義方会塾に住みこんで4段・5段の猛者を相手に修行に励んだ〔。
平安中学主将となった平野は1939年に全国中等学校大会で優勝すると、同年秋に講道館で開催された明治神宮国民体育大会(中学校の部)に団体戦の京都府代表として出場し、優勝に貢献。2段位になった平野は翌40年も全国中等学校大会で連覇を達成し〔、再び京都府代表に選出された明治神宮大会では決勝の対東京府戦に中堅で出場して対戦相手の青木3段を大内刈で一閃〔。これが決勝ポイントとなって京都府代表としても2年連続優勝を果たした〔。
拓殖大学師範の牛島辰熊に見込まれた平野は1941年春に拓大の予科に入学し〔、牛島のほか木村政彦甲斐利之ら本科の先輩を相手に猛稽古をこなした。この頃の拓大は“寝技の拓大”として他所からも恐れられ、稽古中は常に部員の5・6名が道場の脇で泡を吹いて倒れているという有様であったという〔。牛島塾に住み込んだ平野は寝技を牛島から、立技を同じく拓大師範の大谷晃から学び、身長165cm、体重75kgと小躯ながら平野はその技に磨きをかけた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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