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平野長祥[ひらの ながよし]
平野 長祥(ひらの ながよし、明治2年12月3日(1870年1月4日)- 昭和9年(1934年)5月7日)は、明治時代から昭和戦前の華族。父は大和田原本藩藩主平野長裕。正室は酒井忠績の娘鈴子、継室は大関増勤の娘。男爵、貴族院議員。兄弟に鷲尾花(鷲尾隆聚養女、三河産治夫人)、平野鑒吉。子に平野長克。 父が明治5年(1872年)に28歳の若さで没した為家督を継ぎ、明治17年(1884年)7月8日に男爵に叙爵された。学習院を卒業し、東京海上保険、加島銀行に勤務ののち、富山護王銀行の専務、有隣生命取締役となった。明治30年(1897年)貴族院議員となり、大正8年(1919年)男爵議員により結成された院内会派公正会の設立時の幹事長9名のうちの1人となった。 == 栄典 ==
* 1895年(明治28年)12月20日 - 正五位〔『官報』第3746号「叙任及辞令」1895年12月21日。〕 * 1919年(大正8年)1月10日 - 従三位〔『官報』第1930号「叙任及辞令」1919年1月11日。〕
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平野長祥」の詳細全文を読む
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