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平面幾何学式庭園[へいめんきかがくしきていえん]
平面幾何学式庭園(へいめんきかがくしきていえん)は西洋式庭園の作庭技法の一つ。イタリア式庭園と違って、主として平地に営まれ、幾何学的構成をもつ庭園に強い軸線を導入している。 == 概要 == 17世紀末フランスの宮苑造園家ル・ノートルによって確立された。フランスの宮殿建築と造園に革命をもたらした3人の大家として、ノートルのほか、フランソワ・マンサールと、彼の大甥であるジュール・アルドゥアン=マンサールがあげられる。アンドレ・ル・ノートルは、宮廷庭師ジャン・ル・ノートルの息子で、マリー・ド・メディシスがリュクサンブール宮殿の庭を造らせた造園家の一人であった。ノートルはヴォー・ル・ヴィコント、ヴェルサイユ、シャンティー、ディジョンの庭を計画、実現した。フランソワ・マンサールはブロワ城、ジュール・アルドゥアン・マンサールはヴェルサイユ宮殿、アンヴァリッドのドーム、ヴァンドーム広場、ヴィクトワール広場、ダラン・トリアノン、マルリの王宮を造っている。 この庭園様式は、その後ヨーロッパ全土に広がり、彼は「王者の庭師」、「庭園の王」とまで呼ばれるようになった。イタリアで生まれたイタリア式庭園(露壇式庭園)で用いられている樹木の列植や花壇の幾何学的な構成に、強い軸線の導入、毛氈花壇やボスケ、トレリスなどが考案された。野菜は姿を消し、丈の低い花やこれとよき対照をなす観葉植物がそれに替わった。よく用いられる図案は、方形のなかに仕込まれた4つのアラベスク、または刺繍文様の組合わせであり、その中央には池が配置された。 中でもヴェルサイユ宮殿は平面幾何学式庭園の代表例であり、300ヘクタールにも及ぶその大庭園は建築式造園の一つの到達点である。ここでは宮殿中央の「鏡の間」の前のテラスから南へと「王の並木道」が延び、その先がカナールになって、それがはるか天と地の境にまで延びていっているように見える。ヴェルサイユではボスケのなかにもさまざまな小庭園が造られ、これらを舞台に、モリエールの芝居、リュリの音楽、ラ・フォンテーヌの詩の朗読などが行われたのであった。この庭園様式はヨーロッパ中の宮廷庭園に模倣されたが、大きな広場やそこに繋がる一直線に伸びた道路は、18世紀の都市計画にも大きな影響を与えた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平面幾何学式庭園」の詳細全文を読む
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