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幵官(けんかん)氏、または亓官(きかん)氏、または并官(へいかん)氏は、孔子の妻で、孔鯉(伯魚)の母。孔子および孔鯉に先だって没した。 == 名称 == 氏の一字めは資料によってさまざまに書かれる。現代日本では「幵」〔たとえば『大漢和辞典』の「幵」字の熟語に「幵官」(ケンクヮン)が見え、『孔子家語』を引いている〕、中国では「亓」とされることが多く、「亓官」は『百家姓』の441番目にも含まれている。 孔子の妻の名について書かれた、古い文献としては『孔子家語』本姓解があるが、版本によって異なる字が書かれている。比較的よい本と言われる四部叢刊本では「并官」に、日本の古活字本では「井官」のように書かれている〔 (東京大学東洋文化研究所所蔵漢籍善本全文影像資料庫)〕。汲古閣本、『太平御覧』鱗介部八・鯉魚に引く『孔子家語』、百衲本『史記』孔子世家の『索隠』に引く『孔子家語』は、いずれも「上官」に作る。 碑文資料では、後漢の永寿2年(156年)に隷書で刻まれた『礼器碑』に2回「并官」が見える。 「亓官」は沢存堂本『広韻』上平二十六桓「官」小韻に「魯先賢伝云、孔子妻亓官氏」とあるが、周祖謨は銭大昕に従って「并官」を正しいとしている。「亓」は『墨子』に「其」の異体字として用いられており、出土資料でもよく似た字が見られるものの、文献上はかなり珍しい字である。 『春秋左氏伝』桓公六年伝の孔穎達正義に引く『孔子家語』について、阮元の校勘記によると、「幵官」に作る本と「并官」に作る本があったが、段玉裁は上記『礼器碑』を根拠に「并官」を正しいとしたという。 銭大昕は、古い資料が「并官」に作ることから、「幵官」は明代以降の誤りで「并官」が正しいとした。 幵官・亓官・并官のいずれが正しいにせよ、孔子の妻以外に同じ姓をもつ人物は知られていない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「幵官氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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