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幸野 志有人(こうの しゅうと、1993年5月4日 - )は、東京都江戸川区出身のプロサッカー選手。ポジションは主にミッドフィールダー(セントラル・ミッドフィールダー〔町田 期限付き移籍で加入の幸野選手が記者会見「競争に勝ってチームの順位を上げる力になりたい」 blogola (2012年8月7日)〕)。 == 来歴 == 3歳の時にサッカーを始め、小学校卒業後にJFAアカデミー福島に進んだ同アカデミーの1期生。各年代の日本代表に選ばれており、2009 FIFA U-17ワールドカップには唯一の高校1年生選手として選出され〔幸野選手U-17代表へ JFAアカデミー福島初のW杯男子大会へ 47NEWS (2009年10月6日)〕出場を果たした。 2010年、「(幸野は)ジュニアの頃から図抜けた存在だった」というFC東京の強化部長・鈴木徳彦〔読売新聞福島版 2010.03.17〕が同クラブのキャンプへ合流させ、そのプレーぶりから契約を打診。これに対し、アカデミーのスクールマスターだった田嶋幸三は、「(幸野はアカデミー内では)レベルが違うから、早く出してあげた方がいい」と、16歳でのプロ入りを後押しした〔「情熱と切磋琢磨と未来への形」 季刊エルゴラ 2010年10月号 〕。3月になり、アカデミーを途中卒校し〔 河北新報 (2010年3月18日)〕FC東京とプロ契約を結んだことにより〔JFAアカデミー福島 男子1期生 幸野志有人選手 FC東京に加入内定 日本サッカー協会 (2010年3月12日)〕〔JFAアカデミー福島男子1期生 幸野志有人選手加入内定のお知らせ FC東京 (2010年3月12日)〕、アカデミー出身者初のJリーグ選手となった。自身と同じ背番号28を付けていた米本拓司を目標に挙げた〔幸野 背番号「28」で米本超えだ 東京中日スポーツ、2010.03.18〕〔17歳幸野「1分でも公式戦に出る」 東京中日スポーツ、2010.11.08〕。 2010年シーズンは5月22日のナビスコカップ第3節新潟戦で初のベンチ入り。11月17日の天皇杯4回戦の千葉戦にて途中起用され、プロとして公式戦デビューを果たした〔 スポーツニッポン (2010年11月17日)〕。 2011年より大分トリニータへ期限付き移籍〔 FC東京 (2011年1月7日)〕。17歳、Jリーグ史上最年少での移籍となった〔幸野志有人、17歳の移籍と代理人の重要性 サポティスタ、2011.02.24〕。田坂和昭監督は幸野のボールキープ力とアグレッシブな守備を評価〔【トリニータ】きょうホーム東京V戦 大分合同新聞、2011.05.22〕。第12節栃木SC戦でリーグ戦デビューすると、ボランチとしてだけでなくシャドーストライカーとしても起用され〔【J2:第12節 大分 vs 栃木】試合終了後の各選手コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2011年5月15日)〕2列目からの飛び出しなど攻撃面での貢献も見せた〔【J2:第34節 大分 vs 千葉】田坂和昭監督記者会見コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2011年11月6日)〕。 2012年、FC東京に復帰〔幸野 志有人選手 期限付き移籍満了のお知らせ 大分トリニータ (2012年1月4日)〕〔幸野志有人選手 FC東京復帰のお知らせ FC東京 (2012年1月4日)〕。J1第9節柏戦でJ1での初出場を記録した。さらに試合経験を積むために〔【町田:幸野志有人選手が移籍加入】初練習後のコメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2012年8月8日)〕同年8月より、FC町田ゼルビアへ期限付き移籍〔 FC東京 (2012年8月6日)〕〔幸野志有人選手 FC東京より期限付き移籍のお知らせ FC町田ゼルビア 2012.08.06〕。中盤の軸の一人として活躍し〔「高い基礎技術」を植え付けるJFAアカデミーの育成 幸野志有人や田中陽子の活躍が証明すること スポーツナビ (2012年9月3日)〕、第36節大分戦でプロ入り後の初得点を挙げた。 町田で得た手応えを確かにすべく〔新戦力 MF幸野志有人 長崎新聞 (2013年2月5日)〕、2013年よりV・ファーレン長崎に期限付き移籍〔幸野志有人選手 V・ファーレン長崎へ期限付き移籍のお知らせ FC東京 (2013年1月10日)〕〔 V・ファーレン長崎 (2013年1月10日)〕。長崎では主にFWに配され、ポジションを入れ替えながら攻撃する〔【J2:第19節 長崎 vs 東京V】レポート Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2013年6月16日)〕ゼロトップを構成した〔幸野志有人、サッカー人生を懸けた古巣戦 天皇杯漫遊記ラウンド16 千葉対長崎 スポーツナビ (2014年9月12日)〕。 2014年シーズンは1年半ぶりにFC東京へ復帰〔幸野志有人選手 期限付き移籍満了のお知らせ V・ファーレン長崎 (2013年12月30日)〕〔幸野志有人選手 FC東京復帰のお知らせ FC東京 (2013年12月30日)〕。同年のナビスコカップ仙台戦でFC東京での初先発〔幸野、仙台戦で初先発濃厚 アンカーに自信あり 東京中日スポーツ (2014年4月1日)〕の機会を得るも〔公式記録 2014 Jリーグヤマザキナビスコカップ/Aグループ 第2節 Jリーグ (2014年4月2日)〕その後の主力定着はかなわず、同年8月よりジェフユナイテッド市原・千葉へ期限付き移籍〔幸野志有人選手 ジェフユナイテッド市原・千葉へ期限付き移籍のお知らせ FC東京 (2014年8月11日)〕〔幸野志有人選手の加入について ジェフユナイテッド市原・千葉 (2014年8月11日)〕。終盤にかけて右サイドハーフの先発に定着し、巧みなパスで〔2ゴール演出の千葉MF幸野「ようやく第一歩を踏み出せた」 ゲキサカ (2014年10月4日)〕攻撃のアクセントとなった〔4年間昇格を阻んだ千葉の“性格”。「関塚効果」はJ1復帰をもたらすか。 Number web (2014年12月5日)〕。 2015年、FC東京へ復帰〔幸野志有人選手 FC東京復帰のお知らせ FC東京 (2015年1月16日)〕。2016年のACL・全北戦において、FC東京トップチームでは1年10ヶ月ぶりに公式戦出場。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「幸野志有人」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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