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1942年の全国中等学校野球大会(1942ねんのぜんこくちゅうとうがっこうやきゅうたいかい)とは1942年夏に行われた中等学校野球大会のこと。 文部省と大日本學徒體育振興會主催の〈昭和十七年度全国中等学校体育総力大会野球部〉として開催された。大会そのものの名称は、〈全国中等学校錬成野球大会〉となった〔佐藤光房『球児たちの復活』あすなろ社、1995年、p25〕。 甲子園球場で開催されたが後述の理由により、全国中等学校優勝野球大会としては行われず、大会史上には記録が残っていない。このため、幻の甲子園とも呼ばれる。 == 開催までの経緯 == 1941年に、戦争の影響によって軍隊動員を図るために全国規模のスポーツ大会が中止が発表され、第27回全国中等学校優勝野球大会が中止となった。 翌1942年、「戦意高揚」を目的として、戦時下において文部省とその外郭団体の大日本学徒体育振興会は大日本学徒体育振興大会(だいにほんがくとたいいくしんこうたいかい)を催行することとなり、その内の中学野球として甲子園球場で開催されることが決まった。開催にあたっては、従来の大会を主催していた朝日新聞社が「大会の回数継承」と「優勝旗の使用」を申し入れたが、文部省が却下したため、全国高等学校野球選手権大会には記録されていない。その後、朝日新聞社が開催権を返上、文部省に譲渡することで合意が成立した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「1942年の全国中等学校野球大会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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