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《幻想的スケルツォ》()ホ長調作品3は、イーゴリ・ストラヴィンスキーが1908年に作曲した2つめの管弦楽曲である(ちなみに最初の管弦楽曲は《交響曲 変ホ長調》である)。 == 概要 == ストラヴィンスキーが1907年に、婚約者エカチェリーナ・ノセンコと一緒に読んだモーリス・メーテルランクの『蜜蜂の生活』()に霊感を受けて作曲された。約15分の長さを占める大規模な小品で、作曲から2年後にレオ・シュターツによってバレエ化され、《蜜蜂》()という題名でガルニエ宮において上演された。1930年に改訂版が作成されている。 ストラヴィンスキーは、メーテルランクの『蜜蜂の生活』に着想を得てはいるものの、素より描写的な意図で『蜜蜂の生活』を標題に用いたわけではなかった。従ってストラヴィンスキーは、自作がバレエに改編されることも評価しなかった。「物語があると楽譜が売れると信じた出版社を満足させるために、いささかたちの悪い絵空事が出版譜の遊びに印刷されている。」その後メーテルランクからの手紙についてもこう記している。「メーテルランクの手紙は、古典的なバレエを持ち出すまでもなく、《ミツバチ》の筋書きについて辛辣な調子でしたけれども、拙作の《交響的スケルツォ》の音楽には理解を示してくれました。」 当時ストラヴィンスキーの指導者であったニコライ・リムスキー=コルサコフは、自筆譜を閲読して褒めちぎったが、体が衰弱し始めていたために、上演には出席していない。初演は1909年2月6日にサンクトペテルブルクにおいて、アレクサンドル・ジロティの指揮の下に行われ、併せて交響詩《花火》作品4も初演された。この演奏会はストラヴィンスキーの経歴において最も重要な出来事となった。セルゲイ・ディアギレフに見出されたからである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「幻想的スケルツォ (ストラヴィンスキー)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Scherzo fantastique 」があります。 スポンサード リンク
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