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広如(こうにょ、寛政10年6月1日(1798年7月14日) - 明治4年8月19日(1871年10月3日))は、幕末の浄土真宗の僧、西本願寺20世宗主、大僧正。諱は光澤。院号は信法院。 幕末には勤皇の旗幟を鮮明にし、明治以後の教団を方向付けた『御遺訓御書』をのこしている。 == 人物 == 寛政10年(1798年)、河内顕証寺近松暉宣の次子に生まれる。一旦は顕証寺住職に就くが、第19世宗主本如(暉宣の兄)の養子となり、文政9年(1823年)に第20世宗主を継職。 1男4女をもうけるも早世、鷹司家より迎えた養子も早世したが、その後光尊(後の明如)が誕生。顕証寺より迎えた徳如(継職前に死去)、明如の3門跡が揃う一時期があった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「広如」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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