|
広島宝塚(ひろしまたからづか)は、広島市中区(中央通り)にかつて存在した東宝系の映画館である。 建物名は「広島宝塚会館」。映画館以外に、吉野家や土間土間、古着屋のSPINNSなどのテナントも入居していたため、テナントビルとしても知名度があった。 経営・運営は東宝グループの関西共栄興行株式会社が行っていた。 閉館後は解体され、現在は広島東宝ビルとして、広島パルコと広島ワシントンホテルが入るビルとなっている。 == 概要 == 1949年、地元有志が東宝と提携し、『新天地株式会社』(当初は広島東宝劇場株式会社)が設立され、1951年9月22日、総工事費2千5百万円をかけて『新天地劇場』が開場した。当初は映画上映と実演興行を交互に行う劇場だったが、1952年8月に東宝に経営権が移り『広島宝塚劇場』になる。1971年8月に閉館時まで使われる建物に建て替えられ、最盛期には4スクリーンを有する映画館だった。 広島県内における東宝系のチェーンマスターとして数々のヒット作を上映したが、シネコン時代になると、ドラえもんやクレヨンしんちゃん、ポケットモンスターといったアニメ映画シリーズ作品は宝塚1・2・3では上映されず、近隣のシネマコンプレックスでの上映に移行していた。また、2009年9月6日に広島スカラ座が、11月13日に広島東映・ルーブルが閉館したため、松竹東急系の洋画と邦画作品(例:『おとうと』『ソーシャル・ネットワーク』等)も一部上映されるなど、番組編成が徐々にフリー化していった。 そして映画上映方式がデジタルへと移行しつつあった2011年6月に同年8月末での閉館を発表。8月31日、午後6時42分終映の『コクリコ坂から』を持って閉館した。最後まで35mmフィルム上映を貫いた広島宝塚の閉館で、広島市内から序破急(シネツイン・サロンシネマ・八丁座)や成人館などを除いて、広島市中心部から大手映画会社系映画館は消滅した。 2011年9月27日に東宝が跡地利用計画を発表した〔 - 東宝株式会社 2011年9月27日プレスリリース 2011年10月10日確認〕。これまでの建物を取り壊し、地下1階地上14階の広島東宝ビルを建築。1階から3階には広島パルコが広島ZERO GATEを出店。本館・新館に次いで3館目になる〔 - 株式会社パルコ 2011年9月27日プレスリリース 2011年10月10日確認〕。4階から14階には、藤田観光が運営する広島ワシントンホテルが入居〔2013年秋 広島ワシントンホテル開業 - 藤田観光 2011年10月10日確認〕 〔1993年10月から2006年9月まで、『広島ロイヤルワシントンホテル』→『広島ワシントンホテルプラザ』(現・オリエンタルホテル広島)が存在したが、そちらの運営元はワシントンホテルで、運営元が異なる〕。そして2013年10月10日に広島東宝ビルが完成し、広島ZERO GATE(広島パルコ)及び、ワシントンホテルがオープンした。 ちなみに中国放送アナウンサーの小林康秀は、キャスターを務める『RCCニュース6』で同館の閉館を取材しており、新天地劇場の建設に携わっていた小林の祖父が、宝塚会館完成10年を祝す冊子に書いた寄稿を見て感銘を受けたという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「広島宝塚1・2・3」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|