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広島血液銀行(ひろしまけつえきぎんこう)は、昭和27年(1952年)3月に広島県広島市に設立。現在は「株式会社ジェイ・エム・エス」である。 == 沿革 == *1945年(昭和20年)厚生省令にて第3号「輸血取締規則」発布 *1945年(昭和20年)8月15日 日本がポツダム宣言を受諾し、終戦(無条件降伏) *1947年(昭和22年)「輸血取締規則」失効 *1948年(昭和23年)12月9日 連合国軍最高司令官総司令部から、厚生省と東京都に輸血対策をするように指示 *1949年(昭和24年)5月13日 連合軍最高司令官総司令部、厚生省、日本赤十字社、日本医師会の代表者を招集、協議 開始 *1949年(昭和24年)5月16日 厚生省、東京都、日本赤十字社、日本医師会の代表者および学識経験者で「輸血問題予備懇談会」を開催 *1951年(昭和26年)3月 日本ブラッドバンク(その後ミドリ十字→吉富製薬→ウェルファイド→三菱ウェルファーマ→田辺三菱製薬と合併により社名が変更されていく)が日本初の血液銀行として設立 *1951年(昭和26年)5月 財団法人横須賀血液銀行(横須賀赤十字血液センターの前身)設立 *1952年(昭和27年)3月 北海道立医薬品指導研究工場輸血用血液製造部(通称北海道立血液銀行)設立 *1952年(昭和27年)3月 土谷剛治ら数人の資本にて広島血液銀行を設立 *1952年(昭和27年)4月 日本赤十字社血液銀行東京業務所を開設し、「預血」「返血」「無償供血」供血者の募集開始 (献血には預血と返血、無償供血があり、現在の献血は「無償供血」にあたる) *1954年(昭和29年) 保存血液が薬価に収載 200cc=1200円~1400円 売血200cc=400円~500円 *1965年(昭和40年)6月12日、土谷剛治の後を継いだ土谷太郎社長は「株式会社日本メディカル・サプライ」(後に株式会社ジェイ・エム・エスに改称)を設立。 *1969年(昭和44年)民間商業血液銀行による買血による輸血用血液の供給を中止し会社は解散。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「広島血液銀行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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