翻訳と辞書
Words near each other
・ 広幅
・ 広幅まき
・ 広幅散布
・ 広幅散布ノズル
・ 広幡
・ 広幡インターチェンジ
・ 広幡中学校
・ 広幡八幡宮
・ 広幡前基
・ 広幡前秀
広幡前豊
・ 広幡基豊
・ 広幡家
・ 広幡小学校
・ 広幡忠幸
・ 広幡忠礼
・ 広幡忠禮
・ 広幡憲
・ 広幡村
・ 広幡村 (山形県)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

広幡前豊 : ウィキペディア日本語版
広幡前豊[ひろはた さきとよ]
広幡 前豊(ひろはた さきとよ、寛保2年2月20日1742年3月26日) - 天明3年12月19日1784年1月11日))は、江戸時代中期の公卿桜町天皇(115代)から後桃園天皇(118代)に至る四朝にわたって仕え、官位は従一位内大臣まで昇った。父は広幡長忠。養父は近衛内前。室には伏見宮貞建親王の王女を賜った。子に前秀綾小路俊資室がいる。
初名は輔忠(すけただ)といったが、近衛内前の猶子に入り、偏諱(「前」の字)を賜って前豊(「豊」は祖父・豊忠より1字を取ったもの)と改名している。
1745年(延享2年)に叙爵してから累進し、侍従右近衛権少将右近衛権中将などを歴任し、1754年(宝暦4年)に従三位に達して公卿に列した。またこの間の1751年(宝暦元年)に近衛内前猶子となる。その後も権中納言権大納言踏歌節会外弁などをつとめ、1769年(明和6年)に右近衛大将右馬寮御監に就任した。1770年(明和7年)、後桜町天皇の譲位・院政の開始にあたってその院執権となり、1774年(安永3年)まで院庁に奉仕した。また1771年(明和8年)には新たに皇太后となった一条富子桃園天皇女御後桃園天皇生母)の皇太后大夫も兼務していたが、こちらはすぐに辞職している。1775年(安永4年)に内大臣に任ぜられたが、同年のうちに辞職。1781年(天明元年)には従一位に達した。1783年(天明3年)に薨去。享年42。
== 関連項目 ==

* 広幡家



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「広幡前豊」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.